はじめに:「死後の手続き」で、誰にも迷惑をかけたくない
終活における新たな課題「誰が手続きをし、費用は誰が払うのか?」
「終活」という言葉が定着し、エンディングノートや遺言をご準備される方が増えました。しかし、核家族化や「おひとりさま世帯」の増加が進む現代、これまでの対策だけではカバーしきれない、新たな課題が浮かび上がっています。
それは、**「ご自身の死後に関する、あらゆる手続き(死後事務)」**の問題です。
具体的には、「葬儀や納骨は誰がしてくれるのか」「役所への届け出や公共料金の解約は?」「大切にしていたペットの世話は?」「遺品の整理は?」といった、多岐にわたる手続きのことです。そして、これらを実行するには、当然ながら費用がかかります。
これまで当たり前に近親者が担ってきたこれらの役割を、誰に、どのように頼めばよいのか。そして何より、「お願いする相手に、金銭的な負担や面倒は一切かけたくない」と願うのは、ごく自然な想いでしょう。
「想い」と「資金」を確実に繋ぐ、新しい選択肢としての信託
この「死後の手続き」という課題は、「誰にやってもらうか」という“想い”の問題と、「その費用をどうするか」という“お金”の問題が、常に一体となっています。
この二つを確実に結びつけるための、非常に有効な選択肢が「信託」の活用です。
単に「死後のことをお願いします」と口約束や契約書で頼むだけでなく、その手続きに必要となる資金をあらかじめ「信託」という形で分別管理し、安全に準備しておく。そうすることで、託された側は金銭的な心配をすることなく、あなたの最後の想いをスムーズに実現することができます。
この記事では、そんな「想い」と「資金」を確実に繋ぎ、未来の安心をデザインするための「死後事務信託」について、具体的な活用法を解説していきます。
【モデルケース】もし、私が亡くなったら、葬儀や納骨は誰が…?
登場人物
- Aさん(78歳・女性): 夫とは10年前に死別し、お子さんはいない。都内で一人暮らし。これまで自分のことは自分でしっかりとやってきたが、最近体力の衰えを感じ、自身の「死後」について真剣に考え始めている。
- Aさんのきょうだい(兄・妹): 二人とも高齢で遠方に住んでいる。気持ちはあっても、Aさんの死後の手続きを全面的に担うのは、体力的にも難しい状況。
- 甥のBさん(50代): Aさんの兄の長男。真面目で誠実な人柄で、Aさんとも良好な関係を築いている。Aさんにとっては、実の子のように頼りにしている存在。
想定される課題:甥に死後手続きを頼みたいが、金銭的な負担はかけたくない
Aさんは、ご自身のエンディングについて、具体的な希望を持っています。
「葬儀は親しい友人だけでこぢんまりと行い、お墓は管理のしやすい永代供養墓に入りたい。長年連れ添った家具や衣類の整理もお願いしたい…」
そして、これらの死後事務を、信頼できる甥のBさんに託したいと考えています。
しかし、Aさんには大きな懸念がありました。 「Bさんはまだ働き盛りで、自分の家庭もある。私のことで、彼に金銭的な負担をかけさせるわけにはいかない。かといって、その費用をどうやって準備し、確実に渡せばいいのだろう?」
- 今のうちに現金を渡しておく? ⇒ まだ自分も生活費として使うかもしれないし、Bさんも大金の管理に困るだろう。贈与税の問題も気になる…。
- 遺言に「費用を遺す」と書く? ⇒ 銀行口座は、私が亡くなるとすぐに凍結されると聞く。遺言があっても、相続手続きが終わるまでお金が引き出せないのでは、葬儀代など急な支払いに間に合わないかもしれない…。
Aさんは、Bさんを心から信頼しています。信頼しているからこそ、法的にクリーンな形で、必要な費用を、必要なタイミングで確実に使えるようにしておきたいのです。
「Bさんに一切の心配をかけず、私の最後のわがままを、スマートに叶えてもらう方法はないものか…」 Aさんは、そんな切実な悩みを抱えています。
なぜ信託スキームを利用するのか?4つの重要比較
Aさんのような悩みは、単独の「死後事務委任契約」や「遺言」だけでは、実は完全には解決できません。 なぜなのか、そして、なぜ信託を組み合わせることが有効なのかを、4つのポイントで比較検討してみましょう。
制度比較①:「死後事務委任契約」だけでは、なぜ不十分?
まず、「死後事務委任契約」は、ご自身が亡くなった後の諸手続きを、信頼できる第三者にお願いする場合に有用な契約です。モデルケースのAさんが甥のBさんに「死後のことをお願いします」と頼むには、この契約が基本となります。
しかし、この契約だけでは「お金」の問題が残ります。
死後事務の費用をBさんに渡すため、Aさんが事前に現金を預けておいたとします。この方法には、以下のような不安が伴います。
- 管理の負担: 預かったBさんは、自分個人の財産と混同しないように管理しなければならず、手間と心理的な負担がかかります。
- 不測の事態: Bさん自身を信頼していても、万が一Bさんが先に亡くなったり、事故に遭ったりした場合、預けていたお金はBさんの相続財産の一部と見なされ、散逸してしまうリスクがあります。
- 口座の凍結: Aさん名義の預金口座にお金を残しておいても、死亡の事実を金融機関が知った時点で口座は凍結され、Bさんはすぐにお金を引き出すことができません。
このように、「お願い」はできても、その実行に必要なお金の管理と執行に、法的な不安が残ってしまうのです。
制度比較②:なぜ「遺言」でお金を遺すのでは、ダメなのか?
では、「死後事務の費用として、甥のBさんに〇〇万円を遺贈する」と遺言書に書いておくのはどうでしょうか。遺言は、財産の承継先を指定する強力な法的手段ですが、これにも迅速な執行という点で大きな課題があります。
遺言によってお金を受け取るためには、通常、金融機関で相続手続き(戸籍謄本や印鑑証明書の収集、相続人全員の署名・捺印など)を完了させる必要があります。相続人が高齢であったり、遠方に住んでいたりすると、この手続きに数週間から数ヶ月かかることも珍しくありません。
しかし、葬儀費用や火葬費用は、ご逝去後すぐに支払わなければなりません。遺言では、この「すぐ必要なお金」の支払いに間に合わず、結局はBさんが費用を一時的に立て替えざるを得ない、という事態に陥る可能性が高いのです。
※民法改正によって、葬儀費用に関しては最高150万円までは、故人口座からの遺産分割前の払い戻しが可能となりました。
最大のメリット:「資金の確実な保全」と「迅速な執行」
ここで、信託を組み合わせる真価が発揮されます。 死後事務委任契約と信託をセットで活用することで、上記①②の問題点をまとめて解決できるのです。
- メリット1:資金の確実な保全 死後事務の費用として信託したお金は、AさんやBさんの個人財産から法的に切り離され、「信託口口座」という専用口座で安全に分別管理されます。これにより、使い込みや、受託者であるBさんの万が一のリスクからも完全に財産が守られます。
- メリット2:迅速な執行 信託口口座は、名義人であるAさんが亡くなっても凍結されることはありません。 受託者であるBさんは、Aさんの死亡後、相続手続きを待つことなく、すぐに信託口口座からお金を引き出し、葬儀代などの支払いに充てることができます。
「お金」を安全に守り(保全)、かつ「必要な時にすぐ使える」(迅速な執行)。これが、死後事務に信託を組み合わせる最大のメリットです。
コストと手間:どのような費用がかかるか
もちろん、信託契約を設定するには、相応のコストがかかります。具体的には、信託契約書を法的に有効なものにするための公正証書作成費用や、設計を依頼する専門家への報酬が必要です。
確かに、単独の契約や遺言書作成に比べれば、初期費用は高くなります。 しかし、それは「託す相手に金銭的な負担や心配を一切かけない」「自分の最後の想いを、希望通りに確実に実現してもらう」という、何物にも代えがたい“安心”を手に入れるための費用と考えることができるでしょう。
死後事務信託の「設計図」- 基本契約とスキームを理解する
では、Aさんが自身の最後の想いを形にするための「死後事務信託」は、具体的にどのように設計すればよいのでしょうか。 その骨子となる契約項目を、一つずつ見ていきましょう。
【目的】 どのような死後事務を、誰に託すのか?(信託目的)
まず、信託契約書には「この信託は何のために存在するのか」という目的を明確に定めます。ここが、受託者である甥のBさんが行うべきことの範囲(権限)と、守るべき義務の根拠となります。
【契約書の条文イメージ】 第1条(信託目的) 1. 本信託は、委託者であるAの生前の生活、療養等に関する費用の支払及び死後の下記各号に定める事務(以下「死後事務」という。)の執行に必要な資金を管理し、その円滑な執行を実現することを目的とする。 (1)葬儀、埋葬又は納骨に関する事務 (2)医療費等の清算に関する事務 (3)自宅の片付け及び遺品の整理に関する事務 (4)その他、本契約で別途定める事務
このように具体的に列挙することで、Bさんは「Aさんの死後、この目的の範囲内でお金を使うことができる」という明確な権限を得ることになります。
【登場人物】 誰を「受託者」に、誰を「受益者」にするか?(当事者)
次に、モデルケースの登場人物を、信託契約上の役割に当てはめます。
- 委託者(財産を託す人): Aさん
- 受託者(財産を管理・執行する人): 甥のBさん
- 受益者(利益を受ける人): Aさん
ここでのポイントは「受益者」です。この信託では、Aさんの生存中はAさん自身が、信託財産から生活費などを受け取る「受益者」となります。そしてAさんの死後は、信託財産から葬儀費用などが支払われること自体が「Aさん(故人)の利益」と考えるため、受益者が不在になることはありません。 甥のBさんは、あくまで信託された財産を目的のために使う「管理者」であり、財産そのものを自分のものにするわけではありません。
【財産】 死後事務に必要な費用をどう見積もり、何を託すか?(信託財産)
死後事務を確実に実行してもらうためには、必要な費用をあらかじめ計算し、信託しておくことが重要です。
【モデルケースの場合】
- 葬儀・火葬費用: 約100万円
- 永代供養墓の費用: 約50万円
- 遺品整理・清掃費用: 約50万円
- その他予備費: 50万円
- 合計:250万円
このように、ご自身の希望に基づいて費用を見積もり、その金額(金銭)を「信託財産」として契約書に明記します。このお金は、Bさんが開設する「信託口口座」で管理されることになります。
【スキーム】 モデルケースにおける信託の全体像
これまでの設計項目をまとめると、今回の信託の全体像(スキーム)は以下のようになります。
【契約・準備】(Aさんが元気なうち) Aさん(委託者)が、甥のBさん(受託者)と「死後事務委含契約」および「信託契約」を結びます。Aさんは、見積もった費用(250万円)をBさんが開設した信託口口座に入金します。
【Aさんの生存中】 信託した財産は、Bさんによって安全に管理されます。Aさんの生活に変化はありません。
【Aさんの死亡後】 金融機関の口座と異なり、信託口口座は凍結されません。 Bさんは、相続手続きを待つことなく、すぐに信託口口座からお金を引き出し、Aさんの希望通りに葬儀や納骨、遺品整理など、委任された事務の支払いを執行します。
【信託の終了】 全ての死後事務が完了し、費用を精算した時点で、この信託は目的を達成し終了となります。 この時、もし信託財産にお金が残っていれば、その残余財産を「Bさんに渡す(最後の謝礼として)」、「お世話になった施設に寄付する」など、誰に渡すかをあらかじめ契約で指定しておくことができます。
まとめ:元気なうちに「最後の安心」をデザインする
今回は、ご自身の死後の手続きと、その費用に関する不安を解消するための「死後事務信託」について解説しました。最後に、大切なポイントを振り返りましょう。
- 死後の不安は「お願いごと」と「お金」がセットです。 誰に頼むかだけでなく、その費用をどう確実に渡すかが、現代の終活における重要な課題です。
- 「遺言」や「契約書」だけでは、お金の問題が残ります。 遺言では支払いのスピードに、単独の契約では資金管理の安全性に、それぞれ不安が残るケースがありました。
- 信託なら「安全な資金」を「すぐ使える」形で準備できます。 信託した財産は安全に分別管理され、ご本人の死亡後も口座は凍結されません。これにより、託された方はお金の心配なく、すぐに手続きに取り掛かれます。
- 「想い」と「資金」を確実に繋ぐのが死後事務信託です。 最後の想いを託す相手に、金銭的な負担や心配を一切かけないための、最も確実でスマートな方法と言えます。
「ありがとう」の気持ちを形にする、新しい終活の選択肢
「誰にも迷惑をかけずに、人生の最期を迎えたい」――そう願うのは、自立して生きてこられた方であればこそ、当然の想いです。
死後事務信託は、単なる手続きや財産管理のテクニックではありません。それは、ご自身の最後の希望を叶えるとともに、その想いを託す大切な方への「ありがとう」と「気遣い」の気持ちを、法的に確かな形にするための、新しい終活の選択肢です。
ご自身が元気で、判断能力がはっきりしているうちに「最後の安心」をご自身の手でデザインしておくこと。それが、残りの人生をより豊かに、そして晴れやかな気持ちで過ごすための、大きな一歩となるのではないでしょうか。
家族信託について、より詳しくお知りになりたい場合は、まずは当事務所までお気軽にご相談ください。
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