親の認知症による資産凍結を防ぐ!「高齢者の財産保護」のための家族信託(民事信託)徹底活用ガイド

遺言・相続

はじめに:親が元気なうちにしかできない「資産凍結」対策

高齢化社会で最も懸念されるリスクとは

親の長生きは喜ばしい一方、多くの方が直面するのが認知症のリスクです。そして、認知症がもたらす大きな問題が「資産凍結」です。

これは、本人の判断能力の低下により、その方名義の預貯金の引き出しや不動産の売却といった、財産に関する契約行為が一切できなくなる状態を指します。たとえ家族であっても、法的に財産を動かすことはできません。「親の介護費用に、親のお金が使えない」という事態は、誰にでも起こりうる現実的な問題です。

なぜ今、対策としての「信託」が有効なのか

この「資産凍結」への対策は、本人の判断能力がはっきりしている、元気なうちにしかできません。

そこで有効なのが家族信託です。これは、将来の判断能力の低下に備え、元気なうちに「財産の管理・処分」を信頼できる家族に託しておく契約です。この契約をあらかじめ結んでおくことで、万一、親が認知症になっても、託された家族が計画的に財産の管理を続けられ、資産凍結を未然に防ぐことができます。

では、具体的なケースでその仕組みを見ていきましょう。

【モデルケース】もし、一人暮らしの母親が認知症になったら…?

登場人物と家族の状況

  • 母(A子さん・80歳): 夫に先立たれ、郊外の自宅で一人暮らし。
  • 長男(B男さん・55歳): 母の将来を心配し、定期的に実家に顔を出している。
  • 長女(C子さん・52歳): 遠方に住んでいる。

【財産状況】 母A子さん名義の自宅不動産預貯金

「実家の売却資金で施設費用を賄う」が、なぜできなくなるのか

母A子さんの認知症が進んできたことで、介護施設への入所を検討し始めました。長男B男さんは、施設の費用を「実家を売却したお金」で賄おうと考えます。

しかし、ここに大きな壁が立ちはだかります。

不動産の売買契約には、所有者である母A子さん本人の有効な「意思確認」が不可欠です。この時、A子さんの認知症が進行し、契約内容を正しく理解できる状態でなければ、売買契約は法的に無効となってしまいます。

結果、不動産は売れず、まとまった預貯金の引き出しも困難になります。これが「資産凍結」の現実です。「母の財産なのに、本人のために使えない…」と、B男さんは途方に暮れてしまうことになります。

家族信託でどう解決する?知っておくべき4つの重要論点

先ほどのモデルケースが抱える「資産凍結」という問題。これは、家族信託を活用することで解決できます。 ここでは、特に重要な4つのポイントについて、「成年後見制度」と比較しながら具体的に見ていきましょう。

制度比較: なぜ成年後見制度ではなく、家族信託なのか

判断能力が低下した方のための制度として、以前からあるのが「成年後見制度」です。しかし、この制度にはいくつかの制約があります。

成年後見制度は、判断能力が低下したに、家庭裁判所が「後見人」を選任して財産を保護する仕組みです。これに対し、家族信託は、判断能力があるに、本人が「受託者」となる家族と契約を結びます。

両者の主な違いは以下の通りです。

比較項目家族信託成年後見制度
タイミング判断能力が低下するに契約判断能力が低下したに申立て
主導権本人・家族(誰に託すか決められる)家庭裁判所(後見人を選ぶのは裁判所)
財産管理の目的契約内容に基づき柔軟に管理・活用・処分が可能本人の財産を厳格に保護・維持することが目的
不動産の売却契約に基づき、受託者の判断で可能家庭裁判所の許可が必要。居住用は特に厳しい

成年後見制度は、あくまで「財産を守る」ことが最優先のため、実家の売却のような積極的な資産活用には裁判所の許可が必要となり、時間もかかり、必ずしも認められるとは限りません。一方、家族信託であれば、あらかじめ結んだ契約に基づき、長男B男さんの判断でスムーズに売却手続きを進めることができます。

コスト比較: 信託と後見制度、費用はどちらがかかる?

費用面でも大きな違いがあります。

  • 家族信託
    • 初期費用:かかる(数十万円以上)  専門家への報酬や、契約書を公正証書にするための費用、不動産があれば登記費用など、最初にまとまった費用が必要です。
    • ランニングコスト:原則かからない  受託者である家族への報酬を無報酬とすれば、毎月の費用は発生しません。
  • 成年後見制度
    • 初期費用:比較的安い(数万円程度)  家庭裁判所への申立て費用実費のみです。
    • ランニングコスト:かかり続ける  弁護士などの専門家が後見人に選ばれると、本人が亡くなるまで毎月2〜6万円程度の報酬を財産の中から支払い続ける必要があります。

つまり、「初期費用は信託、長期的な費用は後見制度」がかかる傾向にあります。

親の生活を守る「長期的な財産管理」機能とは

家族信託の役割は、単に実家を売れるようにするだけではありません。親の生活を長期的に支える様々な機能があります。

今回のケースでは、長男B男さん(受託者)は、

  1. 不動産の管理・処分:  母A子さんの判断能力に関わらず、適切なタイミングで実家を売却し、売却代金を管理できます。
  2. 生活費・医療費の送金:  管理する口座(信託口口座)から、母の施設費用や医療費、日々のこづかいなどを定額で、滞りなく支払い続けることができます。
  3. 財産の防衛:  財産の名義が受託者に移るため、母A子さん本人が悪質な訪問販売や詐欺のターゲットになっても、大切な財産を守ることができます。

このように、財産管理の権限を信頼できる子に移すことで、親の生活を能動的に守り続けることができるのです。

信託を組むと贈与税や相続税はどうなる?

「信託を組むと、贈与税がかかるのでは?」と心配される方がいますが、今回のケースではかかりません。

税金の基本ルールは「その財産から利益を得る人(受益者)が負担する」です。

今回のモデルケースでは、

  • 財産を託す人(委託者):母A子さん
  • 財産を管理する人(受託者):長男B男さん
  • 利益を得る人(受益者):母A子さん

このように、財産を託した人(委託者)と、そこから利益を得る人(受益者)が同じである場合、実質的な財産の持ち主は変わらないため、信託を組んだ時点では贈与税は発生しません。

そして将来、母A子さんが亡くなって相続が発生した時には、信託されていた財産は通常の財産と同じように相続税の課税対象となります。つまり、税金面では「信託をしない場合と基本的に変わらない」と考えて問題ありません。

高齢者保護を目的とした信託の「設計図」- 基本契約とスキームを理解する

これまでの内容を踏まえ、実際に高齢者保護のための信託を設計する際の、基本的な契約項目を見ていきましょう。 モデルケースに当てはめながら考えると、イメージしやすくなります。

【目的】 何のために信託を組むのか?(信託目的)

信託契約で最も重要なのが「信託目的」です。これは、受託者が財産を管理する上での「憲法」のようなもので、受託者はこの目的に反することはできません。

【契約書の条文イメージ】 第1条(信託目的) 本信託は、委託者であるA子(母)の安定した生活の確保、及び介護・療養等に必要な資金を給付することを目的とする。

このように目的を定めることで、長男B男さん(受託者)は、母A子さんのためにのみ財産を使うという「縛り」を受けます。自分のためには一切使えないため、委託者である母も安心して財産を託すことができるのです。

【財産】 何を、どこまで託すのか?(信託財産)

次に、どの財産を信託するのかを具体的に契約書で定めます。

【モデルケースの場合】

  • 金銭: 1,000万円
  • 不動産: 母A子さん名義の自宅(所在、地番、家屋番号などを登記簿通りに正確に記載)

これらの財産は「信託財産目録」として契約書に添付します。 託された金銭は、受託者個人の財産と混ざらないよう「信託口口座」という信託専用の銀行口座で分別管理するのが一般的です。 また、年金受取口座や日々の買い物に使う少額の預金は、あえて信託せず、母A子さん名義のままにしておくといった柔軟な設計も可能です。

【登場人物】 誰が、どの役割を担うのか?(当事者)

誰がどの役割を担うのかを明確に定めます。

  • 委託者(財産を託す人): 母A子さん
  • 受託者(財産を管理する人): 長男B男さん
  • 受益者(利益を受ける人): 母A子さん

ここで、さらに安心感を高めるための登場人物を追加することもできます。例えば、もし長男B男さんに万一のことがあった場合に備え、「第二受託者」として長女C子さんを指定しておけば、信託をスムーズに引き継ぐことができます。

【期間】 いつからいつまで効力を持たせるか?(信託期間・終了事由)

信託契約がいつ始まり、いつ終わるのかを定めます。

【契約書の条文イメージ】 本信託の期間は、本契約締結の日から、受益者であるA子が死亡するまでとする。

このように、高齢者保護の信託では、多くの場合「受益者(親)の死亡」を信託の終了事由とします。

そして、信託が終了したときに残った財産(残余財産)を誰が引き継ぐのかも、あらかじめ指定しておくことができます。例えば「残った財産は、長男B男さんが取得する」と定めておけば、**遺言と同じように資産承継の役割(遺言代用機能)**を果たすことも可能です。

【全体像】 今回のケースにおける信託スキーム

これまでの設計項目をまとめると、今回の信託の全体像(スキーム)は以下のようになります。

  1. 【契約】(母が元気なうち) 母A子さん(委託者 兼 受益者)と長男B男さん(受託者)が信託契約を結びます。
  2. 【財産移転】 母A子さんは、自宅不動産と預貯金を長男B男さんに託します。不動産は法務局で信託登記を、預貯金は金融機関で信託口口座へ移して管理します。
  3. 【管理・給付】(母の判断能力低下後) 長男B男さんは、信託目的に従って、信託財産の中から母A子さんの施設費用や生活費を支払い続けます。また、必要に応じて不動産を売却します。
  4. 【終了・承継】(母の死亡時) 母A子さんの死亡により信託契約は終了。契約の定めに従い、残った財産を長男B男さんが引き継ぎます。

このように、信託を設計することで、資産凍結のリスクを回避し、親の生活を守りながら、円満な資産承継までを実現できるのです。

まとめ:最高の親孝行は「未来の安心」をデザインすること

今回のポイントの振り返り

今回は、高齢の親御さんを資産凍結から守るための家族信託について、具体的な活用法を見てきました。最後に、大切なポイントを振り返りましょう。

  • 「資産凍結」は誰にでも起こりうるリスクです。 親が認知症になると、たとえ家族でも親の財産を自由に動かせなくなる可能性があります。
  • 対策は「親が元気なうち」にしかできません。 家族信託は、判断能力が低下する前に契約しておくことで、資産凍結を未然に防ぐ極めて有効な手段です。
  • 成年後見制度よりも柔軟な財産管理が可能です。 家族が主体となり、あらかじめ決めた目的に従って、不動産の売却や生活費の管理などをスムーズに行うことができます。
  • 信託設計で「親の想い」を形にできます。 誰に、どの財産を、何のために、いつまで託すのか。オーダーメイドで設計することで、親の希望に沿った財産管理が実現します。

家族で話し合う「はじめの一歩」の重要性

上記のとおり、家族信託は非常に優れた制度ではありますが、その大前提として重要なことは、家族間のコミュニケーションです。

財産の話は、親子であっても切り出しにくいと感じるかもしれません。しかし、この対策は、親御さんが元気で、ご自身の意思をはっきりと示せるうちにしか進めることができません。

まずは、親御さんの想いや希望にじっくりと耳を傾けること。それが、最高の信託契約、そして未来の安心につながる「はじめの一歩」となります。

大切な親御さんのために、未来の不安を取り除き、「安心」をデザインしてあげること。それが、これからの時代における最高の親孝行の一つと言えるのではないでしょうか。

ご自身もしくはご家族の将来的な認知症発症の対策をご検討されたい方は、まずは当事務所までお気軽にご相談ください。

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