はじめに:延命治療について考えたことはありますか?
自分が病気などで回復の見込みがなく、意識もない状態になったらどのような医療を受けたいかを具体的に考えたことはありますか?
多くの人は「まだ先のこと」「縁起でもない」と、つい考えるのを後回しにしてしまいがちです。 しかし、医療技術が高度に進歩した現代において、「どう最期を迎えるか」は、誰にとっても非常に現実的で切実な問題となっています。
もしご本人の意思が不明なまま終末期を迎えた場合、延命治療を「続けるか」「止めるか」という、あまりにも重い決断をご家族が迫られることになります。それは、ご家族にとって精神的に多大な負担となり得ます。
この記事では、こうした事態に備え、ご自身の明確な意思を法的な書面で残す「尊厳死宣言」について、その必要性や法的な留意点、作成方法を専門家の立場で分かりやすく解説します。
「尊厳死宣言」とは?(「安楽死」との違い)
まず、「尊厳死」という言葉の定義から確認しましょう。
「尊厳死」とは、現代医療では回復が不可能な末期状態になった際に、ご本人の意思に基づき、人工呼吸器や胃ろう、心肺蘇生など、生命を維持するためだけに行われる「延命治療」を差し控え、または中止し、人間としての尊厳を保ちながら自然な死を迎えることを指します。
そして「尊厳死宣言」とは、上記の意思、すなわち「自分は無用な延命治療を望まない」という希望を、ご自身が元気で、判断能力がはっきりしているうちに書面で明確に宣言しておくことをいいます。
ここで、よく混同されがちな「安楽死」との違いを明確にしておく必要があります。
尊厳死とは、「行われる医療(延命治療)」を拒否すること。自然な死のプロセスに任せる、という考え方です。
一方で、積極的安楽死とは医師が薬物を投与するなど「積極的な行為」によって患者の死期を意図的に早めることです。
「積極的安楽死」は現在の日本では法的に一切認められていません。 尊厳死宣言は、あくまで「自然な経過に逆らった延命」を拒否するという意思表示であり、積極的な安楽死とは全く異なるものです。
なぜ今「尊厳死宣言」が注目されるのか
近年、この尊厳死宣言を作成したいというご相談が非常に増えています。その背景には、主に3つの社会的変化があります。
医療の高度化 かつては助からなかった命も、医療技術の進歩によって長期間維持できるようになりました。その半面、本人の意識がないまま、機械によって「生かされている」状態が何年も続くという現実も生まれています。
個人の尊厳・自己決定権の重視 「自分の人生の最期は、自分で決めたい」「意識のないまま管につながれて生き続けるより、人間としての尊厳を保ったまま最期を迎えたい」という、個人の価値観や自己決定権を尊重する考え方が広まってきました。
ご家族への負担軽減(思いやり) これが最も大きな理由かもしれません。自分が意思表示できないばかりに、ご家族に「治療を止めるか、続けるか」という精神的・経済的に重い決断をさせたくない、というご家族への「思いやり」から作成を決意される方が非常に多いのです。
尊厳死宣言の作成が適している人
尊厳死宣言は、以下のようなお考えをお持ちの方に特に適していると言えます。
・ご自身の終末期のあり方について、「延命治療は望まない」という明確な希望を持っている人。
・万が一の時、ご家族に終末期医療の選択という重い決断をさせたくない、負担をかけたくないと考えている人。
・「おひとりさま」や、身近に頼れる親族がいない方で、ご自身の意思を医療関係者に確実に伝えたい人。
・健康状態に少し不安が出始めた方、または還暦や古希といった人生の節目を迎え、「終活」の一環として将来の準備を始めたいと考えている人。
尊厳死宣言の「契約上」の法的留意点
では、尊厳死宣言を作成した場合、どのような法的な意味を持つのでしょうか。
法的拘束力についてまず知っておくべきは、尊厳死宣言書に「直接的な法的拘束力はない」ということです。仮に医師がこの宣言書に従わずに延命治療を行ったとしても、医師が法律で罰せられることはない、という意味です。
しかし、「それなら作っても意味がない」と考えるのは早計です。
現在、厚生労働省が策定している「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」などでも、「本人の意思」を最大限尊重する方針が示されています。
ご本人の意思が書面で明確になっていれば、医師や医療機関もその意思を尊重しやすくなります。尊厳死宣言は、法的な強制力こそないものの、医療方針を決定する上で「極めて重要な指針」となるのです。
作成の前提条件 最も重要な前提条件は、必ず、本人が十分な判断能力(意思能力)を有しているうちに作成することです。すでに認知症が進行し、ご自身の意思を明確に判断・表示できない状態になってからでは、作成することはできません。
ご家族との事前共有の重要性 宣言書を作成して、ただ金庫にしまっておくだけでは不十分です。 なぜこの宣言書を作成したのか、ご自身の人生観や最期についての想いを、ご家族に事前にしっかりと説明し、理解を得ておくことが、実は書面作成と同じくらい重要です。 もし、宣言書の存在を知ったご家族が「そんなはずはない、助けてほしい」と強く反対された場合、医療現場は板挟みになり、宣言書通りの対応が難しくなる可能性があります。
なぜ「公正証書」での作成が強く推奨されるのか
尊厳死宣言は、ご自身で書く「私文書」としても作成可能です。しかし、その意思をより確実に実現するために「公正証書」での作成が強く推奨されています。
公正証書とは、公証役場において、法律の専門家である「公証人」が作成する公的な文書です。
公正証書で作成するメリットは絶大です。
極めて高い証明力 公証人が、ご本人の意思能力(正常な判断ができる状態か)と本人確認を厳格に行った上で作成します。そのため、後になってから「無理やり書かされたのではないか」「本人の本当の意思か疑わしい」といった紛争になるリスクを、ほぼ無くすことができます。
原本の確実な保管 作成された宣言書の原本は、公証役場で長期間(原則20年、または本人が120歳になるまで)厳重に保管されます。自宅で保管していて「いざという時に見つからない」「紛失してしまった」という事態を防げます。
医療現場の信頼と安心感 「公正証書」という公的な文書であることで、医師や病院側も、ためらうことなく「これがご本人の明確な意思である」と受け入れやすくなります。これは、医療現場の心理的負担を軽減する上でも非常に大きな意味を持ちます。
行政書士としてサポートできること
私たち行政書士は、「尊厳死宣言公正証書」の作成を以下のようにサポートしています。
- 尊厳死宣言に関する詳しいご説明、ご本人の想いや希望の丁寧なヒアリング。
- ご本人の想いを法的に正確な文章にするための「宣言書(公正証書原案)」の文案作成サポート。
- 公証役場との事前打ち合わせ、必要書類(戸籍謄本や印鑑証明書など)の収集代行。
- 公正証書作成当日の公証役場への同行、または証人としての立会い。
また、尊厳死宣言だけでなく、将来の財産管理や医療・介護の希望を託す「任意後見契約」や、相続に関する「遺言書」の作成も、終活における重要な準備です。行政書士は、これらをトータルでサポートし、あなたの「これから」の安心を設計するお手伝いをしています。
おわりに:元気なうちに「意思」を示すことの重要性
「尊厳死宣言」は、決して「死ぬため」の準備ではありません。 それは、ご自身が望まない医療によって苦痛を長引かせることなく、最期まで「自分らしく生き抜くため」の準備です。
そして、その意思表示は、ご家族に重い決断をさせないための、未来のご家族へ向けた最後の「思いやり」でもあります。
これらの準備は、ご自身が元気で、判断能力がはっきりしている「今」だからこそできることです。 「自分の最期は自分で決めたい」 そうお考えになった時は、ぜひ一度、私たち行政書士にご相談ください。あなたの尊い意思を、法的に確かな「かたち」にするお手伝いをさせていただきます。
執筆者 池上行政書士事務所 池上 功(池上行政書士事務所のホームページ)
