はじめに
障がいのあるお子さまを持つご両親にとって、おそらく最大の関心事は、「自分たちが亡くなった後、この子の生活はどうなってしまうのだろうか」という、切実な想いではないでしょうか。
その愛情から「少しでも多くの財産を遺してあげたい」と願うのは、親としてごく自然なことです。しかし、実はその想いが、「単に財産を遺す」という形になった時、かえってお子さまを困難な状況に追い込んでしまう可能性があることは、あまり知られていません。
ご自身で財産を管理することが難しいお子さまにとって、突然手にした大金は、詐欺被害や浪費のリスクに直結します。また、一定以上の資産を持つことで、それまで受けていた公的な福祉サービスが受けられなくなる可能性さえあるのです。
この記事では、お子さまの生涯にわたる安心した生活を守るための、単にお金を残すことだけではない「仕組み」作りに焦点を当てます。特に、近年注目される「家族信託」や、法的な保護制度である「成年後見」をどのように活用すれば、親の想いを真に形にできるのかを具体的に解説していきます。
なぜ「財産を遺す」だけでは危険なのか?
お子さまの将来を想って遺した財産が、かえってその生活を不安定にさせてしまう。そんな悲しい事態を避けるため、まずは単純な相続が抱える3つのリスクを正しく理解しましょう。
【管理・浪費のリスク】大金を本人が管理できない
お子さま自身が金銭管理を苦手とする場合、遺されたお金を計画的に使っていくことは非常に困難です。日々の生活費の計算や、将来を見据えた貯蓄ができず、あっという間に生活が立ち行かなくなる可能性があります。
また、多額の財産を持っていることが周囲に知られると、悪意のある第三者が近づき、言葉巧みに騙し取ろうとするかもしれません。お子さまの判断能力の弱さにつけ込まれる、深刻な金融犯罪に巻き込まれるリスクに晒されてしまうのです。
【公的支援への影響】福祉サービスが受けられなくなる
またもうひとつの重要な点として、多くの公的な福祉サービスは、ご本人の資力(収入や預貯金額)に応じて提供の可否や自己負担額が決まります。
例えば、生活保護や、施設利用料・公営住宅家賃の減免制度などがこれにあたります。親からの相続によって預貯金が一定額を超えた場合、これらの支援が打ち切られたり、減額されたりする可能性があります。これまで頼りにしてきた生活の基盤を、親の遺産が原因で失ってしまうという、本末転倒な事態になりかねません。
【周囲への過度な負担】兄弟姉妹にすべてを託すことの限界
「他の兄弟姉妹に、あの子の面倒を見てもらえば安心だ」と考える方も少なくありません。しかし、これもまた大きなリスクを伴います。
障がいのある兄弟の財産を生涯にわたって面等を見続けることは、いろいろな面で大きな負担となります。その兄弟自身の家庭生活(配偶者や子との関係)に影響を及ぼしたり、「財産の使い方が不透明だ」などと他の親族から疑いの目を向けられたり、兄弟間のトラブルに発展したりすることも起こりえます。善意だけに頼った仕組みは、非常に脆いのです。
「親なき後」の生活を守る3つの法的ツール
前述したようなリスクを避け、お子さまの生涯にわたる生活を守るためには、親が元気なうちに法的な「仕組み」を準備しておくことが不可欠です。ここでは、その代表的な3つのツールをご紹介します。
ツール①:「遺言書」+「成年後見制度」
これは、従来からある基本的な対策の組み合わせです。まず「遺言書」を作成し、誰にどの財産を遺すかを指定します。その上で、将来お子さまの財産を管理する後見人になってもらいたい人を「後見人の候補者」として記しておくことができます。
そして、親が亡くなった後、実際に家庭裁判所に申し立てを行い「成年後見制度」を利用します。家庭裁判所が選任した成年後見人が、お子さまの財産を法的な監督のもとで管理・保護していくことになります。
- 限界・注意点: 成年後見制度は、あくまで本人の財産を「守る」ことが目的です。そのため、家庭裁判所の監督下で厳格な管理が求められ、不動産の売却や資産の組み換えといった柔軟な対応は難しいのが実情です。また、後見人に選ばれた親族(ご兄弟など)には、定期的な裁判所への報告義務などが課され、その負担は決して小さくありません。
ツール②:「生命保険信託」
これは、生命保険と信託を組み合わせた金融商品です。親が自分を被保険者として生命保険に加入し、その死亡保険金の受取人を「信託銀行」などに設定します。
親が亡くなると、死亡保険金は信託銀行に支払われ、信託銀行は生前に結んだ契約内容に従って、お子さまに毎月定額の生活費を支払ったり、必要な時に医療費を支払ったりします。
- メリット: 専門家である信託銀行が、契約通りに長期間安定してお金を管理・給付してくれるため、安心感があります。親が亡くなった後、比較的速やかに生活資金の給付が始まるのも利点です。
ツール③:「家族信託(福祉型信託)」
現在、障がいのある子の「親なき後」問題の解決策として注目されているのが、この「家族信託」です。特定の目的型の信託として「福祉型信託」とも呼ばれます。
これは、親が元気なうちに、信頼できるご家族(お子さまの兄弟姉妹など)や専門家との間で信託契約を結び、財産を託す方法です。「親の認知症発症後、および死亡後、障がいのある子(受益者)の生活・療養のために、託された人(受託者)が財産を管理・給付する」といった内容を、非常に自由に設計できます。
- メリット:
- 柔軟な財産管理:家庭裁判所の監督を受けないため、契約内容に基づき、必要に応じて不動産を売却して施設入居費用に充てるなど、機動的な対応が可能です。
- 切れ目のない支援:親が元気なうちから始められ、親の認知症発症時も、死亡時も、手続きが止まることなくシームレスにお子さまへの支援を継続できます。
- 二次相続先の指定:これが最大の強みの一つです。お子さまが亡くなった後、信託に残った財産を「最後まで面倒を見てくれた兄弟へ」「お世話になった施設へ」などと、次の承継先まで指定できます。これにより、お子さまに相続人がいない場合に財産が国庫に帰属するのを防げます。
誰に託す?「後見人」や「受託者」の選び方
これらの制度を設計する上で、核となるのが「誰に、お子さまの将来を託すか」という、財産管理の担い手選びです。これは非常に重要で、悩ましい問題でもあります。
選択肢①:兄弟姉妹など親族
多くの方が最初に思い浮かべるのが、障がいのある子の兄弟姉妹でしょう。気心が知れ、お子さまのこともよく理解してくれている最も自然な選択肢です。
ただし、安易に「兄弟だから、よろしく頼む」と決めてしまうのは禁物です。相手にも自身の生活や家庭があります。後見人や受託者になるということは、その人生に長期的な責任を負うということです。必ず事前に、候補者となるご親族と真正面から向き合って話し合い、しっかりとした理解と同意を得ておくことが不可欠です。その負担に報いるため、信託契約の中で受託者への報酬を定めておくといった配慮も重要になります。
選択肢②:専門家や法人
頼れる親族がいない、あるいは兄弟姉妹に負担をかけさせたくない、と考える方も少なくありません。その場合の選択肢となるのが、生前対策を専門とする専門家や法人です。
司法書士や行政書士、弁護士といった専門家個人や、専門家が設立した一般社団法人、あるいは社会貢献法人(NPO)などが、後見人や信託の受託者(財産管理人)に就任するケースが増えています。もちろん費用はかかりますが、法律の専門家が中立的な立場で、契約内容を忠実に実行してくれるという大きな安心感があります。
おわりに:元気なうちの「仕組み作り」が、最高の愛情表現
障がいのあるお子さまへ本当に遺すべきものは、財産の「額」そのものではなく、その子が生涯にわたって安心して生活を支えてもらえる「仕組み」です。
今回ご紹介した「家族信託(福祉型信託)」などの枠組みは、ご両親の想いを具体的な形にし、残されたご家族の負担を減らしながら、お子さまの未来を永続的に守るための、強力なツールとなりえます。
そして、これらの仕組みは、すべて親が元気で、正常な判断能力があるうちにしか作ることができません。
少しでも早く専門家に相談し、「親なき後」への準備を始めること。それは、不安を安心に変えるための第一歩であり、お子さまの将来に対する、何物にも代えがたい最高の愛情表現と言えるでしょう。
執筆者 池上行政書士事務所 池上 功(池上行政書士事務所のホームページ)