はじめに
「終活」や「生前対策」という言葉がすっかり定着し、ご自身のエンディングやご家族の将来のために、元気なうちから準備をしておくことの必要性を感じている方が増えています。
その具体的な対策として、よく耳にするのが「遺言」「任意後見」「家族信託」という3つの制度です。しかし、これらの言葉を見聞きしたことはあっても、「それぞれ何がどう違うのか」「自分の場合はどれを選べば良いのか」を正確に理解している方は、まだ少ないのではないでしょうか。
その結果、「とりあえず遺言書さえ書いておけば、すべての対策ができて安心だ」「最近よく聞く家族信託が一番良いらしい」といった、断片的な情報による誤解も生じがちです。
本記事は、そんな生前対策の「はじめの一歩」を踏み出すためのガイドブックです。3つの制度それぞれの基本的な役割と得意分野を明らかにすることで、あなたが抱えている目的や不安に、どの制度が最適なのかを見つけるお手伝いをします。
目的別!3つの制度の役割早見表
まずは、各制度が「いつ」「何のために」役立つのか、その全体像を直感的に捉えるところからはじめましょう。あなたの最も大きな心配事は、どの制度で解決できそうでしょうか。
目的 (あなたの心配事) | ① 遺言 | ② 任意後見 | ③ 家族信託 |
亡くなった後の財産の分け方を、自分の意思で決めたい | ◎ | × | 〇 |
認知症などで判断能力が衰えた時の、生活費や財産管理に備えたい | × | ◎ | ◎ |
不動産の売却など、将来、柔軟な財産管理ができるようにしたい | × | △ | ◎ |
◎:最も適している 〇:可能 △:限定的・不得意 ×:不可
この表からも分かるように、それぞれの制度には適していること、そもそもできないことがあります。まずはご自身の心配事が「亡くなった後」のことなのか、「生きている間」のことなのかを考えるだけでも、選ぶべき道筋が見えてくるはずです。
次章からは、それぞれの制度について、さらに詳しく解説していきます。
「遺言」― “死後”の財産承継に特化した最終意思
まずは、生前対策として最も広く知られている「遺言」について見ていきましょう。
役割
遺言とは、ご自身が亡くなった後に、誰に、どの財産を、どれだけ遺すかを書き記しておく、法的な効力を持つ文書です。ご自身の最終的な意思を明確にすることで、民法で定められた画一的な法定相続分とは異なる、自由な財産承継を実現できます。
効力が発生するタイミング
遺言の最大の特徴は、その効力がご自身の死亡によってはじめて発生するという点です。つまり、遺言は「亡くなった後」の財産承継に特化した制度であり、ご自身が生きている間は、財産を凍結されたり、管理ができなくなったりするリスクに対しては、何の効果も持ちません。
こんな人におすすめ
- 相続⼈同⼠のトラブル(争族)を避け、財産の分け方を明確に指定したい方
- 法定相続人以外の人(内縁の妻、お世話になった⼈、各種団体など)に財産を遺したい方
- 主な心配事が「自分の“死後”の財産の行方」に限定される方
限界・注意点
遺言は、相続を円満に進めるための非常に強力なツールですが、万能ではありません。最も注意すべき点は、認知症などによる生前の資産凍結対策には全くならないということです。あくまで「亡くなった後」に効力を発揮するものであることを、正しく理解しておく必要があります。
「任意後見」― “判断能力の低下後”の身上監護と財産保護
次に、主に認知症への備えとして注目される「任意後見」制度を見ていきましょう。
役割
任意後見とは、ご本人が元気で正常な判断能力があるうちに、「将来、自分の判断能力が衰えてしまった際には、この人(任意後見人)に、このような内容でサポートをお願いします」と、あらかじめ代理人を指名しておく契約のことです。
この制度の大きな特徴は、預貯金の管理といった「財産管理」だけでなく、役所での手続きや介護サービスの契約、入院手続きといった「身上監護」まで、生活全般のサポートを幅広く任せられる点にあります。
効力が発生するタイミング
任意後見契約の効力は、契約後すぐに発生するわけではありません。実際にご本人の判断能力が低下した際に、家庭裁判所が「任意後見監督人」を選任した時点から、はじめて契約内容がスタートします。つまり、「もしもの時」が訪れるまで出番のない、予約のような制度です。
こんな人におすすめ
- 認知症になった時の、日々の生活費の支払いや財産管理全般が心配な方
- 頼れる親族がいない、あるいは遠方に住んでいる「おひとりさま」
- 財産の「積極的な活用」よりも、まずは「堅実な保護・維持」を望む方
留意すること
任意後見人は、家庭裁判所が選ぶ監督人の監督下で、あくまで「本人の利益のために」財産を管理します。そのため、目的は財産の「保護・維持」に置かれます。リフォームや資産の組み換えを目的とした不動産の売却など、本人の財産を積極的に動かすような柔軟な資産活用は原則として難しく、監督人や家庭裁判所の許可が必要になる場合があります。
「家族信託」― “元気なうちから死後まで”の柔軟な財産管理
最後に、近年最も注目を集めている生前対策、「家族信託」を見ていきましょう。
役割
家族信託とは、ご本人が元気なうちに、信頼できるご家族との間で契約を結び、ご自身の財産(金銭、不動産など)の管理や処分をする権限を、そのご家族に託しておく仕組みです。財産を託す人(委託者)、託される人(受託者)、その財産から利益を受ける人(受益者)の3者で構成され、契約で定めた目的に沿って、託されたご家族が財産を管理・運用します。
遺言や任意後見と大きく異なるのは、家庭裁判所が一切関与しない点です。これにより、柔軟かつ機動的な財産管理が可能になります。
効力が発生するタイミング
家族信託は、契約を締結した時点からすぐに効力を発生させることができます。つまり、ご本人が元気なうちから財産管理をスタートさせ、判断能力が低下した後も、そのままシームレスにご家族が管理を引き継ぐことができるのです。
こんな人におすすめ
認知症による資産凍結を確実に避け、介護費用や医療費などを必要な時にいつでも引き出せるようにしたい方
所有する賃貸アパートの経営や、自社株の管理などを、判断能力低下後も滞りなくご家族に引き継ぎたい方
ご自身の死後、遺された配偶者の生活を守り、さらにその配偶者が亡くなった後の財産の承継先(二次相続)まで、ご自身の意思で決めておきたい方
限界・注意点
家族信託はあくまで財産管理の仕組みであるため、任意後見が担うような「身上監護」(介護サービスの契約や入院手続きなど)を行うことはできません。そのため、完璧な対策を目指すのであれば、任意後見契約と組み合わせて利用することが最も有効な手段となります。
おわりに:制度の組み合わせで、盤石な対策を
ここまで見てきたように、「遺言」「任意後見」「家族信託」には、それぞれ明確な役割と得意分野があり、どれか一つが全ての悩みを解決する万能薬というわけではありません。
ご自身の心配事や、ご家族に遺したい想いを明確にした上で、亡くなった後のことだけが心配なら「遺言」
認知症になった時の生活全般が心配なら「任意後見」
認知症による資産凍結を避け、柔軟な財産管理をしたいなら「家族信託」
という基本をまず押さえることが重要です。
そして、場合によってはこれらの制度を「組み合わせる」ことで、よりあなたのご希望に沿った、盤石な対策を設計することが可能です。例えば、「財産管理は柔軟に行いたいが、身の回りの手続きも心配だ」という方は、「家族信託」と「任意後見」をセットで契約しておくのが理想的な形と言えるでしょう。
最適な対策は、ご自身の資産状況やご家族の構成によって千差万別です。どの制度が自分に合っているのか、どう組み合わせれば良いのか、最終的な判断を下す際には、ぜひ一度、司法書士や行政書士といった生前対策の専門家にご相談ください。あなたの想いを実現するための、最善の道筋をきっと示してくれるはずです。
執筆者 池上行政書士事務所 池上 功(池上行政書士事務所のホームページ)