はじめに
前回の「現状把握編」では、ご自身の持ち物の全体像を可視化する方法について解説しました。実際に家中の衣類や本などを一箇所に集め、その物量を客観的に認識できた方もいらっしゃるでしょう。
しかし、そのモノの山を前に、いよいよ「要・不要」を判断する段階になると、多くの人の手が止まってしまいます。その最大の心理的なカベが、「もったいない」「まだ使えるのに」という気持ちです。
この記事では、生前整理における最も困難な、この「判断」のステップに焦点を当てます。その時の感情に流されず、後悔しないために、どのような「判断基準(モノサシ)」を持つべきか。その具体的な方法論を解説していきます。
大原則:すべてのモノに、同じ「モノサシ」を当てない
生前整理における「判断」のステップで、多くの方が陥りがちな失敗が、すべて一つのルールで、家にある全てのモノを仕分けようとすることです。
片付けの挫折を招く、犯しがちな間違い
例えば、「1年間使わなかったモノは手放す」というルールは、一見すると合理的です。しかし、このモノサシを、家のモノすべてに当てはめてみたらどうなるでしょうか。
例えば、1年間着なかったセーターは処分できても、仮に10年間使っていなくても、不動産の権利証や保険証券を手放すわけにはいきません。大切な家族の写真も、使う・使わないという基準では判断できません。このように、単一のルールで全てを判断しようとすると、開始早々に矛盾が生じ、思考が停止してしまうのです。
3つのカテゴリーで「判断基準」を切り替える
この課題を解決する鍵は、モノの種類ごとに、「判断基準(モノサシ)」そのものを切り替えることです。 そのために、私たちは家の中にあるモノを、性質に応じて、以下の3つの大きなカテゴリーに分けて考えることを推奨しています。
- 重要書類
- 生活用品
- 思い出の品
モノの役割が違えば、その価値を測るモノサシが違うのは当然です。次の章から、この3つのカテゴリーそれぞれに最適な、具体的な判断基準を見ていきましょう。
【重要書類】の判断基準:「手続き」の観点から
最初のカテゴリーは「重要書類」です。このカテゴリーの判断基準は、他のモノとは全く異なり、感情や使用頻度は一切関係ありません。
残すべき書類とは
判断基準は、「ご自身の生存中、あるいは死後の家族が、何らかの法的手続きや行政手続きを行う上で、必要となるか否か」。ただそれだけです。たとえ10年に一度しか見ない書類でも、手続きに必要であれば、それは「絶対に必要なモノ」に分類されます。
- 残すべき書類の具体例
- 権利・契約に関するもの
- 不動産の権利証(登記済証または登記識別情報)
- 保険証券(生命保険、火災保険、自動車保険など)
- ローンなどの契約書
- 金融資産に関するもの
- 預貯金通帳、証書
- 有価証券の取引報告書や口座開設の控え
- 実印、銀行印
- 公的な身分証明など
- 年金手帳、年金証書
- 健康保険証、介護保険証、後期高齢者医療被保険者証
- パスポート、マイナンバーカード
- 権利・契約に関するもの
これらの書類は、一つのファイルボックスなどにまとめ、「重要書類」として誰の目にもつくように一元管理しておくのが理想です。
速やかに処分すべき書類
一方で、すでに不要となっている書類は、まとめて一気に処分しましょう。ただし個人情報が含まれる場合はシュレッダーにかけるなどの注意が必要です。
- 処分可能なのに放置されて棚を占拠しがちな書類の具体例
- 保証期間がとうに過ぎた、家電製品などの保証書
- すでに支払いが完了している、数年以上前の公共料金やクレジットカードの請求書
- すでに処分した製品の取扱説明書
- 解約済みのサービスの契約書
書類の整理は、一見地味な作業ですが、これが片付くだけで、万が一の際のご家族の負担は劇的に軽減されますし、なにより日常生活の快適化につながります。生前整理については、まずはここから手をつけるのがおすすめです。
【生活用品】の判断基準:「今の暮らし」を豊かにしているか?
次に、衣類や食器、家具、家電といった「生活用品」の判断基準です。このカテゴリーでは、「今の」あなたの気持ちが主役になります。
残すべき生活用品とは
ここでの判断基準は、「そのモノが、今のあなたの生活を、快適で、豊かにしてくれているか?」です。過去にどれだけ高価だったか、あるいは、将来使うかもしれない、という視点はいったん脇に置きます。
- 残すべき生活用品の具体例
- 実際に着ていて心地よいと感じる衣類
- 日常の食卓で、使うたびに気分が上がる食器
- 今の趣味(ガーデニング、手芸、読書など)で、現役で使っている道具
- 今の体力や生活スタイルに合っていて、暮らしを快適にしてくれる家具や家電
あくまで「今」を基準に、ご自身の暮らしをポジティブにしてくれるモノだけを残していく、という意識が大切です。
手放すことを検討すべき生活用品とは
一方で、以下のようにもう「今の暮らし」には貢献していないモノは、手放すことを検討すべき候補となります。
- 手放すことを検討すべきモノの例
- 「痩せたら着よう」と思ったまま、何年も着ていない服
- 「お客様が来た時用」として食器棚の奥に眠っている、大量の客用食器
- 「高かったから、もったいない」という理由だけで、使わずにしまい込んでいるブランドバッグや置物
- 今の暮らしには大きすぎる、重すぎる家具
これらのモノは、ご自身にとっては「いつか使うかもしれない資産」でも、将来、ご家族にとっては「処分に困る、大きな負担」になりかねない、という視点を持つことも重要です。 「もったいない」という気持ちは、モノを循環させる「リユース(誰かに譲る、売る)」という形で活かすこともできます。手放すことは、必ずしも「捨てる」ことだけではないのです。
【思い出の品】の判断基準:「量」を意識した「厳選」
最後に、最も判断が難しく、そして最も大切なカテゴリーが「思い出の品」です。写真や手紙、趣味の作品といった、ご自身の人生を彩ってきた品々。これらは、当然ながら「手続きに必要か」「今の暮らしにおいて使っているか」といったモノサシでは測れません。
「捨てる」ではなく「選りすぐる」と考える
このカテゴリーに関しては、「何を捨てるか(処分)」ではなく、「選りすぐる(厳選)」というスタンスで臨むとよいでしょう。 たくさんの思い出の品の中から、ご自身にとって本当にかけがえのない品だけを選び抜くことで、その価値をより一層高める、という考え方です。
例えば、段ボール箱に無造作に入った数千枚の写真を遺されても、将来遺されたご家族はどう扱って良いか途方に暮れてしまいます。しかし、ご自身の手で厳選された思い出品は、ご家族にとっても何物にも代えがたい、かけがえのない宝物になるのです。
具体的な「厳選」の方法
では、どのように「厳選」を進めればよいのでしょうか。代表的な品目ごとに、その方法をご紹介します。
- 写真 何冊もあるアルバムや、プリントされた大量の写真の中から、「これだけは遺したい」というベストショットを選び抜きます。目標は「自分だけのベストアルバムを1冊だけ作る」こと。選んだ写真に、日付や短いコメントを添えておくと、思い出の価値はさらに高まります。
- 子どもの思い出品 お子さんが幼い頃に作った絵や工作も、全てを物理的に保管するのは困難です。これも、例えばお子さんが「幼少のとき」「小学生のとき」「中高生のとき」という括りで、その時々において特に思い入れが強い一品を選抜するというやり方もおすすめです。
- 手紙・はがき 年賀状や、旧友との手紙の束も、全てを残す必要はないかもしれません。もう一度読み返したい、心に残っている手紙だけを、小さな箱一つ分に収める、といったルールを決めて残しましょう。
- データ化して保存という手も 厳選の過程で、「実物は手放しても良いが、記録としては残しておきたい」というモノ(選ばれなかった写真や子どもの作品など)は、スマートフォンで撮影したり、スキャナーで取り込んだりして、「データ化」して保存するのも非常に有効な方法です。これにより、物理的な量を減らしつつ、思い出は全て残す、という選択が可能になります。
おわりに:判断とは「未来への贈り物」を選ぶ作業
今回は、生前整理における「判断」のステップについて、モノを「重要書類」「生活用品」「思い出の品」という3つのカテゴリーに分け、それぞれの判断基準(モノサシ)を解説しました。
もちろん、長年かけて築いてきた人生に関わる全てのモノについて、一度に判断を下すのは大変な作業です。もし何から手をつけて良いか迷ったら、まずは最も客観的な判断がしやすい「重要書類」の整理から始めてみることをお勧めします。このカテゴリーが片付くだけでも、大きな安心感が得られ、次のステップへの弾みがつくはずです。
ご自身にとって手放しがたい品々も、何の整理もされず物置に積み上げられただけでは、ご家族にとっては多大な負荷のかかる遺品整理作業となりかねません。一方で、本当に思い入れのある厳選されたものだけが遺されていたとしたら、それはご家族にもかけがえのない「贈り物」となるはずです。
この記事が、前向きな「生前整理」を進める上で、少しでもお役に立てれば幸いです。
執筆者 池上行政書士事務所 池上 功(池上行政書士事務所のホームページ)