はじめに:亡くなった後、大量の「手続き」は誰がする?
人が亡くなると、遺産相続のことがまず思い浮かびますが、それと同時に、ご遺族には膨大な量の「事務手続き」が待ち受けています。
役所への死亡届の提出、健康保険や年金の手続き、入院費用の精算、葬儀や納骨の手配、電気・ガス・水道の解約、スマートフォンの契約解除…。これらは、誰かが責任をもって行わなければ、故人の社会的な関係を清算することができません。
しかし、「頼れる身内がいない」「子どもはいるが、遠方に住んでいたり、仕事が忙しかったりで迷惑をかけたくない」といった方は、今や決して少なくありません。
こうした現代ならではの悩みを解決するために生まれたのが、**死後事務委任契約**という法的な備えです。
この記事では、「遺言書さえ書いておけば大丈夫」と思っている方が見落としがちな、死後の手続きの重要性について解説します。そして、その解決策である死後事務委任契約とは何か、終活全体の中でどう位置づければ良いのかを、専門家の視点からご紹介していきます。
1.遺言書だけではダメ?「終活の三点セット」で役割を理解する
「きちんと遺言書を用意したから、私の死後は万全だ」 そうお考えの方は多いかもしれません。しかし、残念ながら遺言書は万能ではありません。遺言書でできることには、実は明確な限界があるのです。
本当の意味での「安心」を手に入れるためには、**終活の三点セット**という考え方をおすすめしています。これは、ご自身の状況を「生前」「死後」という時間軸で捉え、それぞれのタイミングで必要となる備えを網羅する考え方です。
【生前の備え】任意後見契約
まず、ご自身が元気なうちに、将来的に認知症などで判断能力が衰えてしまう可能性に備えるのが**任意後見契約**です。あらかじめ信頼できる人に後見人になってもらう契約を結んでおくことで、自分の代わりに預金の管理や、介護施設の契約などを行ってもらえます。
【財産を託す】遺言書
次に、ご自身が『死後』に、ご自身の「財産」を誰に、どのように遺すのかを決めておくのが遺言書です。預貯金や不動産といったプラスの財産だけでなく、借金などのマイナスの財産についても、その行き先を指定することができます。その内容は、主に財産の相続に関することになります。
【手続きを託す】死後事務委任契約
そして、遺言書ではカバーしきれない、ご自身が『死後』の、財産以外のあらゆる「事務手続き」を託すのが、「死後事務委任契約」です。冒頭で挙げたような、役所での手続き、葬儀・埋葬の執行、関係者への連絡など、細やかで多岐にわたる事務作業を、生前に信頼できる人や専門家に依頼しておく契約です。
このように、3つの契約は、それぞれ守備範囲が異なります。特に、遺言書は「財産の承継」、死後事務委任契約は「事務の執行」と、その役割が明確に違うのです。この点を理解することが、盤石な終活の第一歩となります。
2.「死後事務委任契約」で、できること・頼める相手
死後事務委任契約が、遺言書ではカバーできない、死後の様々な「手続き」を担うものであることをご理解いただけたかと思います。では、具体的にどのような方が利用し、何を、誰に頼むことができるのでしょうか。
どんな人が利用するのに適しているか
この契約は、特に以下のような状況にある方々にとって、心強い備えとなります。
- おひとりさまの方 頼れる親族が近くにおらず、ご自身の死後の手続きを誰にも託せない、という場合に最も有効です。
- お子さんのいないご夫婦 夫婦の一方が亡くなった際、遺された配偶者も高齢で、煩雑な手続きを行うのが難しい場合があります。また、ご夫婦二人ともが亡くなった後に、誰にも迷惑をかけたくない、と考える場合にも活用されます。
- ご親族と疎遠、あるいは迷惑をかけたくない方 法律上の相続人(子どもや兄弟姉妹など)はいても、様々な事情で関係性が疎遠であったり、「自分たちのことで、これ以上負担はかけたくない」と強く願っていたりする場合。
- 法的な相続人でない方に手続きを託したい方 内縁関係のパートナーや、同性のパートナー、お世話になったご友人など、法律上の相続権を持たない方は、たとえ故人と親しい間柄でも、公的な手続きを行う権限がありません。こうした方に死後事務を託したい場合、この契約が法的な裏付けとなります。
葬儀からSNSの削除まで。委任できることリスト
死後事務委任契約で委任できる内容は、ご自身の希望に応じて、かなり自由に設定することができます。一般的に、以下のような事務の委任が可能です。
- 役所への諸届出(死亡届、健康保険・年金資格抹消など)
- 医療費・施設利用料の精算と支払い
- 通夜・葬儀・火葬・納骨・埋葬に関する事務
- お墓に関する手続き(永代供養墓の契約・支払いなど)
- 公共料金・家賃などの支払いと解約手続き
- 関係者への連絡(友人、知人、勤務先など)
- デジタル遺品の整理(パソコン内のデータ消去、SNSアカウントの削除など)
- ペットの世話や、新しい飼い主を探す手続き
これら全てを頼むことも、一部だけを頼むことも可能です。
誰に頼む?専門家から親族まで、受任者の選び方
では、これらの事務を誰に「受任者」として託すことができるのでしょうか。主な選択肢と、それぞれの特徴は以下の通りです。
依頼先 | メリット | デメリット・注意点 |
親族・友人 | ・費用がかからない場合が多い ・心情的に頼みやすい | ・法的手続きに不慣れな場合がある ・相手も高齢だと負担が大きい ・自分より先に亡くなる可能性がある |
専門家 (弁護士、行政書士など) | ・手続きのプロで、確実性が高い ・第三者として客観的に執行してくれる | ・報酬(費用)が発生する |
法人 (NPO法人、一般社団法人など) | ・組織として対応するため、継続性が高い ・専門家と提携している場合が多い | ・費用が発生する ・担当者が変わる可能性があり、属人性が薄い |
どの選択肢が良いかは、ご自身の状況や価値観によって異なります。しかし、確実に、そして客観的に事務を執行してもらう、という観点では、やはり専門家に依頼するのが最も安心感が高い選択と言えるでしょう。
3. 契約を「確実に」実行してもらうための重要ポイント
死後事務委任契約は、ご自身の希望を書き記し、信頼できる相手と契約を結んで初めてスタートラインに立ちます。しかし、その契約内容が、あなたの死後、滞りなく、そして確実に実行されるためには、さらに押さえておくべき2つの重要なポイントがあります。
3.1 手続き費用はどうする?「預託金」という生命線
死後事務委任で依頼する手続きには、葬儀代、医療費の精算、納骨費用など、まとまった費用がかかるものが多くあります。しかし、本人が亡くなると、その方の銀行口座は、死亡の事実を銀行が知った時点で凍結されてしまいます。
たとえ正当な受任者であっても、凍結された口座から自由にお金を引き出すことはできません。これでは、受任者は葬儀代などを立て替えなければならず、契約の実行そのものが困難になってしまいます。
この問題を解決するためにあるのが**預託金**の仕組みです。 これは、契約時に、死後事務にかかる費用をあらかじめ受任者に預けておく、というものです。受任者はこの預託金の中から必要な費用を支払い、手続き完了後に、残金と会計報告を相続人へ引き渡します。この預託金があることで、受任者は金銭的な心配なく、速やかに事務に着手できるのです。まさに、契約を動かすための「生命線」と言えるでしょう。
※ 預金の仮払い制度について 2019年の民法改正により、相続人は遺産分割協議が終わる前でも、故人の預金の一部を「仮払い」として引き出せる制度が創設されました。具体的には、「(相続開始時の預金額)× 1/3 ×(その相続人の法定相続分)」の額、または一つの金融機関につき150万円の、いずれか低い方の金額まで引き出しが可能です。 この制度により、葬儀費用などを故人の預金から支払える可能性は高まりました。しかし、それでもなお、①戸籍謄本など相続人であることを証明する多くの書類が必要で時間がかかる点、②引き出せる金額が、必ずしも全ての死後事務費用をまかなうには十分でない可能性がある点などから、速やかで確実な事務執行のためには、依然として預託金の仕組みが有効であることに変わりはありません。
3.2 契約書作成と実行のプロ「行政書士」に頼むメリット
第2章で、受任者の選択肢として親族や専門家、法人などをご紹介しました。その中でも、行政書士に依頼することには、以下のメリットがあります。
まず、行政書士は契約書作成のプロフェッショナルです。あなたの希望を丁寧にヒアリングし、法的に有効で、後々トラブルにならないような、抜け漏れのない適切な契約書を作成します。さらにその契約書を、より証明力の高い**公正証書**として作成することも推奨しています。
そして、行政書士は事務手続きのプロでもあります。 実際に受任者として、あなたの死後、契約書という法的な根拠をもって手続きを行います。役所での煩雑な手続き、各サービス事業者への解約連絡、葬儀社との打ち合わせなど、専門家として、第三者の客観的な立場で、粛々と、そして正確に事務を執行します。
大切な友人や親族に、不慣れな手続きや精神的な負担をかけたくない、と考える方にとって、契約書の作成から実務の執行までをワンストップで託せる専門家の存在は、とても心強い選択肢となるはずです。
おわりに:意思を形にすることが、最大の「安心」につながる
今回は、遺言書だけではカバーしきれない、死後の様々な手続きを託すための「死後事務委任契約」について、その全体像を解説しました。
この記事を通して見えてくるのは、この契約が「誰にも迷惑をかけずに、人生の最後をきちんと締めくくりたい」という、現代人の切実な願いを法的な形で実現するための、とても有効な手段であるということです。
ご紹介した**「終活の三点セット」(任意後見契約・遺言書・死後事務委任契約)**を意識し、ご自身の状況に合わせて必要な備えは何かを考えることが、将来の不安を解消し、「自分らしい最期」を迎えるための鍵となります。
立つ鳥跡を濁さず、という言葉がありますが、まさにご自身の社会的な後始末を、信頼できる第三者に託しておく。その意思表示こそが、あなた自身にとっても、そして、あなたのことを気にかけてくれる周囲の人々にとっても、最大の「安心」という贈り物になるのではないでしょうか。
この記事が、その大切な一歩を踏み出すための、きっかけとなれば幸いです。
死後事務委任契約について詳しくお知りになりたい方は、まずは当事務所までお気軽にお問い合わせください。
執筆者 池上行政書士事務所 池上 功(池上行政書士事務所のホームページ)