「終活」が広まった時代とその背景
今や誰もが自然に口にする「終活」という言葉。すっかりわたしたちの社会に定着した概念となりましたが、実はこの言葉自体は登場してから、まだ十数年しか経っていません。これは、どのような時代に生まれ、なぜこれほどまでに日本社会に浸透したのでしょうか。
言葉の誕生は2009年
「終活」という言葉が世に広まるきっかけとなったのは、2009年に『週刊朝日』で始まった連載企画でした。人生の終わりをより良いものにするための活動を「就活(就職活動)」になぞらえて名付けられたこの言葉は、当時の社会にとても新鮮な響きをもって受け止められました。
連載当初、その活動内容は、主に自身の死後に備える準備を指していました。例えば、お葬式やお墓をどうするかを生前に決めておく、遺される家族のために財産を整理しておく、といった内容です。あくまで、人生の「終わり」に焦点を当てた準備が中心でした。これが、「終活」という概念の第一歩です。
なぜ急速に社会へ浸透したのか
では、なぜこの新しい言葉は、一過性のブームに終わらず、社会に深く根付いていったのでしょうか。その背景には、当時の日本が抱えていた社会構造の変化とともに多くの日本人の心に共通する、ある想いがありました。
一つは、急激な「少子高齢化」と「核家族化」の進行です。かつてのように、何世代もの家族が同居し、親の最後は子どもが看取るのが当たり前、という時代ではなくなりました。子どもは都会に出るなどして親とは離れて暮らし、そもそも子どもの数自体が減っています。自分の死後の手続きを、誰が、どのように行ってくれるのか。その担い手への不安が、社会全体に広がっていました。
そして、この社会的な不安を受け止める土壌となったのが、「家族に迷惑をかけたくない」という、とても日本的な価値観です。自分のことは自分で始末をつけ、残される家族には、金銭的にも精神的にも、できるだけ負担をかけずにいたい。この切実な想いが、団塊の世代をはじめとする多くの人々の心を捉え、「終活」を「他人事」ではなく「自分ごと」として関心を呼ぶ大きな原動力となったのです。
社会の変化という「客観的な必要性」と、家族を想う「主観的な心情」。この二つが重なり合ったことで、「終活」は、時代が求める必然のキーワードとして、私たちの間に急速に広まっていきました。
終活の「今」~「死に支度」から「より良く生きるための準備」へ~
第1章では、終活という言葉が「家族に迷惑をかけたくない」という想いを背景に、主に死後の準備として始まったことをお話ししました。 しかし、誕生から10年以上が経った今、その意味合いは少しずつ変化を遂げています。
黎明期の終活が目指したもの
終活が広まり始めた頃、その主な関心事は、いわば「終活三種の神器」とも言える3つのテーマでした。それは「お葬式」「お墓」「相続(遺言)」です。
- 自分の葬儀は、誰に、どのような規模で執り行ってほしいのか。
- お墓は、誰が継承し、管理していくのか。あるいは墓じまいをするのか。
- 遺産をめぐって、家族が争うことのないようにするには、どう分ければよいか。
これらはもちろん、今でも終活のとても重要な要素です。しかし、共通しているのは、その視線が主に「自分の死後」に向けられている点です。残される家族が困らないように、先回りして備えておく。それが終活の一般的な捉えられ方だったかと思います。
最近の終活がカバーする広大な領域
これに対して、このところの「終活」がカバーする領域は、はるかに広くなっています。その視線は死後だけでなく、死に至るまでの「生きている時間」そのものに向けられるようになりました。 ひと言でいえば、「死に支度」から「生き支度」へと、その重心が大きくシフトしているのです。
現代の終活には、かつての「三種の神器」に加えて、次のような新しいテーマがごく自然に含まれるようになっています。
- 医療や介護の意思決定:延命治療を望むか否か、最期をどこで迎えたいかといった意思を示す「リビング・ウィル」の作成や、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)※の考え方。
- 認知症などへの備え:判断能力が低下する前に、信頼できる人に財産管理や身上監護を託す「任意後見契約」や「家族信託」など。
- 生前整理:単なる身の回りの片付けに留まらず、思い出の品や人間関係も含めて、自身の人生を整理し、より軽やかに生きるための活動。
- デジタル終活:スマートフォンやパソコンの中のデータ、SNSアカウント、ネット銀行の口座など、デジタル資産の取り扱いや情報をまとめておくこと。
ACPとは…将来の医療やケアについて、本人・家族・医療・介護関係者が繰り返し話し合いを行い、本人の意思を尊重した意思決定を支援するプロセスのこと。
これらの活動に共通するのは、「自分自身が、人生の最後まで尊厳を保ち、自分らしく、そして安心して生きるためにはどうすればよいか」という、とても前向きな問いかけです。
このように、終活は単に死後の手続きを円滑にするためのものではなくなりました。老いや病と向き合いながら、変化していく心と体と共に、残りの人生という時間をいかに豊かに、そして主体的に過ごしていくか。そのための総合的な「ライフプラン」へと、その意味を大きく進化させているのです。
これからの終活と、私たちが持つべき視点
終活が、死後の準備から「より良く生きるためのライフプラン」へと進化したことは、とてもポジティブな変化です。しかしその一方で、この「領域の広がり」は、新たな課題も生み出しています。それは、いろんなことがありすぎて「結局、何から始めれば良いのか分からない」という状態に陥りやすいことです。
この章では、これからの終活と、私たちがどう向き合っていくべきかについて考えていきます。
未来の終活は「もっと多様で、パーソナルなのもの」に
これからの終活は「もっと多様で、個人個人の価値観に即したもの」になっていくべきであると思います。 個人の価値観が尊重される時代、終活の形も、”何を最優先するのか”について一人ひとりの生き方を反映した、よりパーソナルなものへと変化していくでしょう。
また、人生100年時代といわれる現代では、ライフプランを考える一環として、より早い段階から終活を意識する流れも加速するかもしれません。若者がキャリアプランを考えるように、あるいは家庭を持つタイミングで保険を見直すように、人生の節目で「終わり」から逆算して「今」を考えることが、自然な流れになっていくのかもしれません。
重要性を増す「自分なりの目標設定と優先順位づけ」
このように終活が多様化・パーソナル化するからこそ、「自分にとっての目標設定と優先順位づけ」が、これまで以上に重要になります。
やるべきことが多岐にわたるからといって、すべてを一度にやろうとすれば、途中で息切れしてしまいます。大切なのは、今の自分の状況と価値観に照らし合わせて、「何が一番気になるか」「何から手をつければ安心か」を見極めることです。
その一つの考え方として、終活の課題を**「モノ」に関する問題と「コト」に関する問題**に分けてみる方法があります。
- 「モノ」の問題:デジタル遺産(SNSやサブスクの整理)、思い出の品や家財道具の整理、重要書類や貴重品のリスト作成など、物理的な「モノ」や「情報」の整理が中心です。
- 「コト」の問題:終末期医療や介護の方針、相続の具体的な内容、お葬式の形式など、ご自身の意思決定や家族との対話が不可欠な「事柄」が中心です。
もし、何から手をつけて良いか迷ったなら、まずは手をつけやすい「モノ」の問題から着手することをおすすめします。「コト」の問題は、時に深く悩んだり、家族とコミュニケーションを取りながら進める必要があり、精神的なエネルギーを要します。一方で、「モノ」の整理は、大変な作業ではありますが、自分のペースで着実に進めることができ、目に見える達成感を得やすいのが特徴です。 まずは「モノ」の整理で弾みをつけ、心の準備ができたところで、じっくりと「コト」の問題に向き合っていう進め方も考えられます。
本当の目的は「人生の物語」を自分でデザインすること
そして最後に重要なこととして、終活は決して、死に向かうネガティブな「義務」ではない、ということです。 それは、自らの意思で人生の最終章をデザインしていく、ポジティブで創造的な「権利」であり、生き方そのものです。
どの課題を優先し、どのような準備をするか。その一つひとつの選択は、あなたがこれまで何を大切にして生きてきたのか、そして残りの時間をどう過ごしたいのか、という意思表示に他なりません。 それは、あなたという人間が紡いできた「人生の物語」の、最終章のプロットを、あなた自身の手で書き上げる作業なのです。
残される家族のため、という視点ももちろん大切です。しかしそれ以上に、自分自身が安心して、納得して、豊かな時間を過ごすために、終活はある。 この視点を持つことが、“終活迷子”から抜け出し、前向きな一歩を踏み出すための、一番の羅針盤になるはずです。
まとめ
今回は、「終活」という言葉の誕生から、その意味の変遷、そして今後のあるべき姿までを見てきました。
当初は「死後の準備」として始まった終活は、10年以上の時を経て、いかに人生の最終章を豊かに生きるかという、広大でポジティブな「ライフプラン」へとその意味を大きく進化させています。
その領域が広がったからこそ、私たちは「何から手をつけるべきか」と迷いやすくなりました。しかし、その答えは、誰かが決めたリストの中にあるわけではありません。自分自身の心や、家族との関係性と向き合い、「自分にとっての優先順位」を見つけること。そのプロセス自体が、現代における終活の本質と言えるのかもしれません。
終活とは、単なる「やることリスト」の消化ではありません。 それは、これまでの人生を慈しみ、これからの時間をどう生きたいかを考える、自分自身との対話です。
この記事が、あなただけの「人生の物語」を、あなた自身の手で豊かにデザインしていくための、はじめの一歩となれば幸いです。
執筆者:池上行政書士事務所 池上 功 (事務所ホームページ)