はじめに:自分の財産を、想いのままに「託す」時代へ
「人生100年時代」と言われる現代、私たちはかつてないほど長い期間、自分の財産管理と向き合うことになりました。一方で、年齢を重ねると、誰もが認知症や病気によって判断能力が低下する可能性に直面します。
もしそうなってしまったら、銀行預金は引き出せず、不動産を売却することもできなくなる、いわゆる「資産凍結」の状態に陥ってしまうかもしれません。これでは、ご自身の生活費や医療費支払いに困るだけでなく、家族にも大きな負担をかけてしまいます。
そうしたことへの対策としては成年後見制度などがありますが、「自分の意思で決められない、もしくは範囲が制限される」「手続きが複雑で、財産の活用に制限がある」といった課題もあります。
そうした中で、「元気なうちに、自分の想いを込めて、信頼できる人に財産の管理・承継を託す」ことができる新しい選択肢として、大きな期待をされているのが「民事信託」です。
この記事では、そんな民事信託の基本的な仕組みから、多くの方に利用されている「家族信託」との関係まで、わかりやすく解説していきます。
「民事信託」って何?3分でわかる基本の仕組み
「信託」と聞くと、少し難しく感じるかもしれませんが、基本的な構造はシンプルです。 一言でいえば、「財産を持っている人(=委託者)が、その財産を信頼できる相手(=受託者)に託し、特定の目的(=受益者の便益のため)に従って管理・運用してもらう制度」です。
◆登場人物は「託す人」「託される人」「利益をうける人」の3人だけ◆
民事信託を理解するカギは、この3人の登場人物の関係性を把握することです。
- 委託者:財産のオーナー。自分の財産を託す人。
- 受託者:委託者から財産を託され、信託契約で定めた目的に従って、その財産を管理・運用・処分する人。
- 受益者:信託された財産から生じる利益(家賃収入や預金の利息、生活費など)を受け取る人。
例えば、「高齢の父(委託者)が、所有するアパートの管理をしっかり者の長男(受託者)に託し、そこから得られる家賃収入はこれまで通り父(受益者)が受け取る」といった形が考えられます。
この場合、形式上の所有者は長男(受託者)に変わりますが、財産の利益は父(受益者)が受け取り続けることができるのです。また、委託者と受益者は同一人物であるケースが多く見られます。
「家族信託」と呼ばれるのはなぜ?
ニュースや書籍で「家族信託」という言葉を耳にしたことがある方も多いでしょう。 実は、「家族信託」は法律上の正式な用語ではなく、「民事信託」の愛称のようなものです。
民事信託では、財産を託される「受託者」に、信頼できるご家族(子や配偶者など)が就任するケースが非常に多いため、俗称として「家族信託」と呼ばれています。この記事で解説する「民事信託」は、一般的に言われる「家族信託」とほぼ同じ性質のものだと考えていただいてよいと思います。
銀行が扱う「商事信託」との決定的な違い
「信託といえば、信託銀行では?」と思われるかもしれません。信託銀行などが扱う信託は「商事信託」と呼ばれ、民事信託とは似て非なるものです。
一番の違いは、「営利目的かどうか」です。以下の表で違いを確認してみましょう。
項目 | 民事信託(家族信託) | 商事信託 |
目的 | 家族や親族の資産管理・承継など(非営利) | 顧客から手数料を得て、信託サービスを提供(営利) |
受託者 | 信頼できる家族・親族など(資格不要) | 免許を受けた信託銀行・信託会社 |
根拠法 | 信託法 | 信託法 + 信託業法 |
主な財産 | 不動産、預貯金、自社株式など多岐にわたる | 金銭が中心(投資信託など) |
こうしたことから、民事信託は、大切な家族のために、オーダーメイドで柔軟な財産管理の仕組みを作れる制度なのです。
どんな時に役立つの?民事信託の大きなメリット
では、民事信託を使うと、具体的にどのような良いことがあるのでしょうか。それは、 これまでの制度である「遺言」や「成年後見制度」では対応が難しかったことを実現できる点にあります。代表的な3つのメリットをご紹介します。
メリット①【認知症対策】:意思能力がなくなっても財産が凍結しない
最大のメリットが、認知症などによる**「資産凍結」を未然に防げる**ことです。
現在の日本では、認知症などで本人の意思能力(判断能力)が不十分だとみなされると、その方名義の銀行口座は原則として取引が停止されます。定期預金の解約や、不動産の売却、大規模なリフォーム、生命保険の契約といった法律行為が一切できなくなってしまうのです。これが「資産凍結」です。たとえ家族であっても、本人の財産を自由に動かすことはできません。
この資産凍結を解決する従来の方法として「成年後見制度」がありますが、「一度利用を開始すると原則途中でやめられない」「家庭裁判所が後見人を選ぶため、必ずしも家族がなれるとは限らない」「財産は本人の保護が最優先となり、積極的な資産活用や相続対策は難しい」といった制約がありました。
一方、民事信託は、本人が元気で判断能力があるうちに信頼できる家族(受託者)と契約を結んでおく制度です。そのため、将来的に、委託者本人の判断能力が低下しても、受託者は信託契約で定めた内容に従って、引き続き財産の管理や活用をスムーズに行うことができます。これにより、資産凍結等を回避し、本人の生活費や医療費の支払いを滞りなく行い、財産活用を行うことなどが可能になるのです。
メリット②【柔軟な資産承継】:遺言ではできない、想いを込めた財産の引き継ぎ方ができる
たとえば、「自分の死後、財産は妻にすべて相続させたい」といった方がいらっしゃったときに、これを実現する一般的な方法が「遺言」です。
しかし、遺言の効力は一次相続(自分の死)まで。もし、その妻が亡くなった後(二次相続)、財産を誰に引き継いでほしいか(例えば、自分の家系の甥に、など)という希望があったとしても、遺言で指定することはできません。財産を相続した妻が、どのように財産を使ったり、誰に遺したりするかは、妻の自由に委ねられます。
その点、民事信託は「想いを繋ぐ」ことができます。
例えば、「私が亡くなった後、財産の利益は妻(受益者)に。そして、その妻が亡くなった後は、障がいのある長男の生活のために財産を使ってほしい(次の受益者は長男)」というように、何代にもわたる承継の形(受益者連続型信託)を設計することが可能です。
このように、生前の財産管理からご自身の死後、さらにはその先の資産承継まで、ご自身の想いを切れ目なく、そして柔軟に実現できるのが民事信託の大きな強みです。
メリット③【倒産からの隔離】:「託した財産」は、万が一の時も守られる
これは「倒産隔離機能」と呼ばれる、信託の非常に強力な特徴です。
信託契約を結ぶと、託した財産(信託財産)の名義は、委託者(本人)から受託者(託された人)へ移ります。しかし、それはあくまで「信託のため」の名義変更です。その財産は、委託者個人の財産ではなく、もちろん受託者個人の財産でもない、独立した財産として扱われます。
これにより、万が一、委託者や受託者が個人的に多額の借金を負ってしまったり、事業に失敗して破産したりした場合でも、信託財産は差し押さえの対象から外れます。
例えば、会社経営者の方が、個人資産である自宅を信託しておくことで、事業のリスクと、家族が暮らす大切な家とを法的に切り離すことができます。信託財産が、個人のリスクに対する「防波堤」の役割を果たしてくれるのです。
検討する前に知っておきたい民事信託の留意点
多くのメリットがある民事信託ですが、良い点だけでなく、注意すべき点も正しく理解したうえで検討することが大切です。
専門家のサポートが不可欠
民事信託は、オーダーメイドで自由な設計ができる反面、その内容は非常に複雑になります。信託法や税法といった専門的な法律知識がなければ、適切な信託契約書を作成することは極めて困難です。
もし契約書に不備があれば、信託そのものが無効になったり、後から家族間でトラブルになったり、あるいは予期せぬ高額な税金がかかったりする危険性があります。
そのため、民事信託の組成にあたっては、弁護士、司法書士、税理士、行政書士といった信託に精通した専門家への相談が必須となります。当然、そのための報酬支払いや各種手続きの手数料がかかることは、あらかじめ念頭に置いておく必要があります。
受託者(託される人)の負担
信託契約では、財産を託される「受託者」の役割が非常に重要です。気軽に引き受けてもらうものではなく、相応の責任と負担が伴うことを理解しなければなりません。
受託者は、信託契約で定められた目的に従い、善良な管理者として財産を適切に管理する義務(善管注意義務)を負います。また、信託財産の管理状況を帳簿等に記録したり、年に一度、受益者へ報告したりといった事務的な作業も発生します。
誰を受託者にお願いするかは、その方の年齢や知識、生活状況、そして何より「引き受けても良い」という本人の意思を最大限尊重し、家族間でよく話し合って慎重に決めることが重要です。
税務上の取り扱いには注意が必要
「信託を組めば節税になる」というイメージは、よくある誤解の一つです。基本的に、民事信託を組んだからといって、相続税や贈与税の直接的な節税効果があるわけではありません。
税金の基本的な考え方は、「財産から利益を受ける人(受益者)が納税する」というものです。
- 委託者と受益者が同じ場合(例:父が託し、父が利益を得る) → 信託を組んでも、財産の実質的な所有者は変わらないため、贈与税はかかりません。その後、父が亡くなり、子が次の受益者になった時点で、子に相続税がかかります。
- 委託者と受益者が異なる場合(例:父が託し、子が利益を得る) → 信託を組んだ時点で、父から子へ財産が贈与されたとみなされ、子に贈与税がかかります。
このように、信託の設計によって、かかる税金の種類やタイミングが大きく異なります。どのような税金が、いつ、誰にかかるのかを正確に把握するため、必ず税理士などの専門家と共に税務面の確認を行うことが不可欠です。
まとめ:未来への安心をデザインする、はじめの一歩
今回は、民事信託の基本的な仕組みからメリット、そして留意点までを解説しました。
民事信託(家族信託)とは、 「元気なうちに、信頼できる人へ財産を託し、自分の想いに沿った財産の管理・承継を実現するための、オーダーメイドの仕組み」 です。
これにより、①認知症による資産凍結の防止、②遺言ではできない柔軟な資産承継、③万が一の時の倒産隔離といった、これまでの制度では難しかった多くの課題を解決できる可能性があります。
もちろん、専門家のサポートが必須であったり税務上の検討が必要であったりするなど、始める前にはクリアすべき点もあります。
しかし、民事信託は、ご自身の、そして大切なご家族の未来への安心をデザインするための、非常に有効なツールであることは間違いありません。
家族信託についてご興味がある方は、当事務所までお気軽にご相談ください。
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